
うちに柴犬が来たのは、去年の11月だった。
名前はコタロウ。ペットショップじゃなくて、知り合いのブリーダーから譲ってもらったんだけど、最初に会った時のあの警戒心むき出しの目つきったらなかった。「この家、大丈夫かな」って顔してた。こっちのセリフだよ、と思ったけど。
それまでうちの家族って、夕飯の時くらいしか顔を合わせなかったんだよね。父親は仕事で遅いし、母親はパートから帰ってきたらすぐキッチンにこもるし、妹は自分の部屋でずっとスマホいじってるし。私も大学から帰ったら自室に直行する日々。リビングのテレビがついてるのって、誰も見てないのに習慣でつけてるだけ、みたいな。そういう家だった。
コタロウが来てから最初の一週間は地獄だったな。夜中に遠吠えするわ、トイレは覚えないわ、スリッパは噛みちぎるわ。母親が「やっぱり犬なんて無理だったんじゃない」ってため息ついてたのを覚えてる。でもその時、妹が珍しくリビングに降りてきて「私が夜見とくよ」って言ったんだよね。あいつがそんなこと言うなんて、って家族全員が固まった。
朝方の4時くらいかな、喉が渇いて起きたらリビングの電気がついてて。妹がコタロウを膝に乗せて、スマホで犬のしつけ動画を見ながらメモ取ってた。コタロウは妹の膝の上で、初めて安心したような顔で寝てた。あの光景、なんか妙に記憶に残ってる。台所の換気扇の音だけが響いてて、外はまだ真っ暗で。
そういえば前に飼ってたハムスターの話なんだけど、あれは完全に私の管理ミスで死なせちゃったんだよね。小学生の時。餌やり忘れて、気づいたら動かなくなってて。それ以来、生き物を飼うのが怖くて仕方なかった。だからコタロウが来るって聞いた時も、正直反対だったんだけど…まあ、そんな話はどうでもいいか。
父親が変わったのは、コタロウが散歩を覚えた頃だった。
最初は母親が連れて行ってたんだけど、ある日曜の朝、父親が「俺が行く」って言い出して。それから毎朝6時に起きて、コタロウと一緒に近所を歩くようになった。帰ってくると「今日は田中さんちの奥さんに会ってさ」とか「公園の桜、もうすぐ咲きそうだぞ」とか、やたら話しかけてくるようになって。今まで朝なんて新聞読んで黙々とコーヒー飲んでるだけだったのに。母親が「お父さん、最近よく喋るわね」って笑ってた。
リビングに家族が集まる時間が増えた。コタロウの餌の時間、散歩の時間、ブラッシングの時間。別にそれをするために集まるわけじゃないんだけど、気づいたら誰かがリビングにいて、誰かが話しかけて、コタロウがその間をうろちょろしてる。妹なんて「コタロウのインスタ作ろうかな」とか言い出して、家族で写真撮ったりして。私たち家族が一緒に写真撮るなんて、何年ぶりだろう。
冬の夜、暖房つけたリビングでコタロウが丸くなって寝てる横で、家族でテレビ見ながらみかん食べたりする。特別なことは何もない。でもその「何もない時間」が、前はなかったんだよね。コタロウの寝息と、テレビの音と、父親がみかんの皮をむく音。そういう音が混ざり合ってる空間。
最近、コタロウは私の部屋のドアの前で待ってることがある。開けてあげると、ついてきてリビングまで誘導される。「降りてこいよ」って言われてる気がして、まあ仕方ないかって降りていく。
家族ってこういうものだったっけ、とか考えたりするけど、答えは出ない。ただコタロウがいて、なんとなく集まって、なんとなく一緒にいる。それだけのこと…なのかもしれないけど。

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