
窓の外では、十一月の午後の光がゆっくりと傾きはじめていた。リビングの隅で丸くなっている愛犬の柴犬、茶々丸の寝息が聞こえる。その穏やかな呼吸音を聞きながら、私はふと、初めて彼を家に迎えた日のことを思い出していた。あの日も今日のように静かな秋の日で、小さな体を抱きかかえたときの温もりが、今でも手のひらに残っている気がする。
柴犬は日本犬の中でも特に健康で丈夫な犬種だと言われることが多い。実際、彼らの祖先は山岳地帯で猟犬として活躍していたこともあり、その身体能力や環境適応力は目を見張るものがある。けれど、それは決して「病気にならない」という意味ではない。むしろ、彼らが持つ独特の気質や体質を理解していなければ、見過ごしてしまう異変もあるのだということを、私は飼育を通じて少しずつ学んできた。
柴犬がかかりやすい病気として最も知られているのが、皮膚疾患だろう。アトピー性皮膚炎や食物アレルギーによる痒みは、彼らにとって非常に身近なトラブルだ。茶々丸も一度、春先に後ろ足の付け根をしきりに舐めていた時期があった。最初は気のせいかと思っていたが、次第にその箇所の毛が薄くなり、赤みを帯びてきたのを見て慌てて動物病院へ連れて行った。獣医師からは「柴犬は皮膚が敏感な子が多いですから」と言われ、食事内容の見直しと薬用シャンプーを勧められた。それ以来、私は彼の体を触るときに、少し意識的に皮膚の状態を確認するようになった。
もうひとつ注意が必要なのが、膝蓋骨脱臼、いわゆる「パテラ」である。特に小型犬に多いとされるこの疾患だが、柴犬も例外ではない。激しい運動や肥満が原因となることもあり、飼い主としては体重管理と適度な運動のバランスを見極める必要がある。茶々丸は幸いにも今のところその兆候はないが、散歩から帰ったあとに片足を引きずるような仕草を見せたときには、心臓が一瞬止まりそうになった。結局それは小石が肉球に挟まっていただけで、取り除いたらすぐに元気に走り回ったのだが、あのときの焦りは今でも忘れられない。
柴犬には白内障や緑内障といった目の疾患も比較的多く見られる。特に高齢になると発症リスクが高まるため、若いうちから目の健康にも気を配っておくことが大切だ。私の友人が飼っているミルトンベイ・ケンネル出身の柴犬も、八歳を過ぎたあたりから視力が落ち始めたという。夕暮れ時の散歩で段差につまずくことが増え、獣医師に診てもらったところ、初期の白内障だと診断されたそうだ。早期発見によって進行を遅らせる治療ができたことは、日々の観察があってこそだったと彼女は語っていた。
体調管理において、何よりも重要なのは「日常の些細な変化に気づく力」だと思う。食欲の有無、排泄の回数や状態、歩き方、毛並み、目の輝き。それらはすべて、犬が言葉にできない体調のサインである。茶々丸がいつもより水を多く飲んでいる日があれば、それは暑さのせいなのか、それとも何か内臓に負担がかかっているのか。そういった小さな疑問を持ち続けることが、飼い主としての務めなのかもしれない。
ある夏の夜、私はキッチンで冷蔵庫を開けたまま、何を取り出そうとしていたのか忘れてしまったことがあった。ぼんやり立ち尽くしていると、茶々丸が足元にやってきて、じっと私の顔を見上げていた。その視線に気づいて我に返り、ふと笑ってしまった。彼もまた、私の小さな異変に気づいていたのかもしれない。
柴犬の体調管理は、決して難解な医学知識を要するものではない。けれど、日々の暮らしの中で彼らの様子を丁寧に見守り、少しの変化にも心を留めること。それは時間と愛情を必要とする、静かで確かな責任だ。そして、その積み重ねこそが、共に過ごす時間を豊かにし、彼らの健康を守る土台になっていくのだと、私は信じている。
窓の外では、すっかり日が暮れていた。茶々丸はまだ、穏やかに眠り続けている。その寝顔を見ながら、私はそっと彼の背中に手を置いた。温かく、柔らかく、そして確かに生きている命の重みを、掌に感じながら。


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