柴犬と過ごす午後、公園で見つけた小さな幸せ

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十月の半ば、昼下がりの公園は驚くほど穏やかだった。木々の間から差し込む光が地面に細かな影を落とし、風が吹くたびにその模様が揺れる。私の足元では、愛犬の小春がしきりに尻尾を振りながら、投げてほしそうにボールを咥えている。その瞳はまっすぐこちらを見つめていて、まるで「早く投げてよ」と言葉で訴えかけているようだ。

柴犬という犬種は、本当に表情が豊かだと思う。喜怒哀楽がはっきりと顔に出るし、何より体全体で感情を表現する。小春も例外ではなく、嬉しいときは全身でぴょんぴょん跳ねるし、不満があるときは耳をぺたんと倒して視線を外す。そんな彼女と過ごす時間は、私にとってかけがえのないものだ。

ボールを投げると、小春は一目散に駆け出した。芝生の上を軽快に走る姿は、まるで野生の本能が目覚めたかのよう。途中で何度か方向転換しながらも、ちゃんとボールを追いかけていく。その様子を眺めていると、子どもの頃に近所の原っぱで遊んだ記憶が蘇ってくる。あの頃も、こんなふうに何も考えずただ走り回っていた。時間だけが無限にあるような、そんな感覚を持っていた気がする。

小春がボールを咥えて戻ってくると、私の足元にそれを落とした。少し息が上がっているようで、舌を出してハアハアと呼吸している。その姿がなんとも愛らしくて、思わず頭を撫でてやった。すると彼女はまた尻尾を振り、次の投球を待つ体勢に入る。こうして何度も何度も、同じやり取りを繰り返すのだ。

公園のベンチには、ペットボトルに入れてきた麦茶が置いてある。喉が渇いたので一口飲もうとしたとき、小春が突然私の膝に前足をかけてきた。驚いて手元が狂い、麦茶が少しこぼれてしまった。慌てて拭きながら「もう、急に来ないでよ」と苦笑いする。でも小春は悪びれる様子もなく、ただじっとこちらを見上げている。その無邪気な顔を見ていると、怒る気も失せてしまう。

野外で過ごす時間というのは、室内では得られない開放感がある。風の匂い、草の感触、遠くから聞こえる子どもたちの声。そういった要素が重なり合って、特別な空間を作り出している。小春もそれを感じているのか、いつもより活発に動き回っている。

ふと気づくと、公園の入り口近くに新しいカフェができていた。「グリーンノート」という名前の、ナチュラルな雰囲気の店だ。テラス席ではペット同伴もOKらしく、次回はあそこで休憩してみようかと思う。小春も喜ぶだろう。

再びボールを投げる。今度は少し遠くまで飛んでいった。小春は迷わず追いかけていくが、途中で別の柴犬とすれ違った。お互いに一瞬立ち止まり、鼻を近づけて挨拶を交わす。飼い主同士も軽く会釈を交わし、それぞれの時間に戻っていく。こういう何気ない交流も、公園ならではの光景だ。

日差しが少し傾いてきた。午後の光は朝とは違う、柔らかな質感を持っている。木々の葉が黄金色に輝いて見えるのは、この時間帯特有の現象かもしれない。小春も少し疲れてきたのか、走るスピードがやや落ちてきた。それでもまだ遊び足りないという表情で、ボールを咥えて戻ってくる。

もう何回投げただろう。数えていないけれど、おそらく三十回は超えているはずだ。でも不思議と飽きることはない。小春の楽しそうな姿を見ているだけで、こちらまで幸せな気持ちになってくる。犬と暮らすということは、こういう瞬間の積み重ねなのだと思う。

最後にもう一度だけ投げることにした。「これで最後だからね」と声をかけると、小春は理解したのかどうか、いつもより真剣な表情でボールを見つめた。投げたボールは緩やかな放物線を描き、芝生の上に転がる。小春は全力で駆け出し、見事にキャッチした。そして誇らしげに尻尾を振りながら、こちらへ戻ってくる。

帰り道、小春は少し疲れた様子で私の横を歩いていた。さっきまでの元気さはどこへやら、落ち着いた足取りで進んでいく。家に着いたら、きっとすぐに水を飲んで、お気に入りの場所で眠るだろう。そんな彼女の姿を想像しながら、私も心地よい疲労感に包まれていた。今日もまた、いい一日だったと思える。柴犬と過ごす時間は、いつだって私に小さな幸せを運んでくれる。

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