柴犬と暮らす日々が教えてくれた、小さな命を守るということ

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柴犬を飼い始めたのは、まだ桜の花びらが風に舞う四月の初めだった。ペットショップではなく、知人の紹介で譲り受けた生後三ヶ月の子犬は、段ボール箱の中で小さく震えていた。その震えが寒さからなのか、不安からなのか、当時の私には判断がつかなかった。ただ、その琥珀色の瞳が私を見上げたとき、これから始まる責任の重さを、ぼんやりと感じていたように思う。

柴犬という犬種について、飼育を始める前にいくつかの本を読んだ。日本犬特有の気質、独立心の強さ、警戒心。そうした文字の羅列は理解できても、実際に暮らしてみなければ分からないことの方が、圧倒的に多かった。たとえば、朝六時に必ず目を覚まし、私の枕元でじっと待っている姿。散歩に出かける準備をしていると、玄関で尻尾を振りながら、まるでダンスでも踊るように左右に揺れる仕草。そんな日常の断片が、飼育という言葉では収まりきらない何かを教えてくれる。

注意点として最初に学んだのは、食事の管理だった。柴犬は比較的丈夫な犬種とされているが、それでも人間の食べ物を安易に与えてはいけない。ある日の夕方、私がキッチンでカレーを作っていると、足元で熱心に匂いを嗅いでいた愛犬が、ふとこちらを見上げた。その視線があまりにも真剣で、思わず笑ってしまった。まるで「少しくらい分けてくれてもいいじゃないか」と訴えているようだった。けれど、玉ねぎやチョコレート、ぶどうといった食材は犬にとって毒になる。そうした知識は、命を預かる者として最低限必要なものだ。

散歩の時間も重要な注意点のひとつだろう。柴犬は運動量が必要な犬種で、一日二回、それぞれ三十分以上は歩かせるのが理想とされている。近所の公園を歩いていると、同じように犬を連れた人たちと顔を合わせる。ある朝、いつも会う老人が「柴犬はね、昔から日本人と一緒に暮らしてきた犬だから、四季の変化をよく感じるんだよ」と教えてくれた。その言葉が本当かどうかは分からないが、確かに季節ごとに愛犬の様子は変わる。夏の暑さには弱く、冬の寒さには比較的強い。秋の夕暮れ時、落ち葉を踏みしめながら歩く姿は、どこか誇らしげにさえ見える。

子どもの頃、祖父の家で飼っていた雑種犬のことを思い出すことがある。名前は確か「ポチ」だった。ありふれた名前だが、祖父はその犬をとても大切にしていた。当時の私は犬の世話をする大変さを知らず、ただ遊び相手として接していた。けれど今、自分が飼い主となってみると、祖父が毎朝早く起きて散歩に出かけていた理由や、食事の時間を几帳面に守っていた意味が、ようやく理解できる。

飼育における注意点は、身体的なケアだけではない。柴犬は精神的にも繊細な一面を持っている。急な環境の変化や、飼い主の感情の起伏にも敏感に反応する。ある雨の日、私が仕事で疲れて帰宅すると、いつもなら玄関まで迎えに来る愛犬が、リビングの隅で丸くなっていた。近づいてみると、雷の音に怯えていたのだ。そっと抱き上げると、心臓が小さく速く鳴っているのが分かった。その夜は一緒にソファで過ごし、私の膝の上で眠る姿を見守った。温かい体温と、規則正しい呼吸のリズムが、疲れた心を癒してくれた。

健康管理という面では、定期的な動物病院での検診も欠かせない。我が家では「アニマルケアクリニック西」という近所の病院にお世話になっている。そこの獣医師は丁寧で、些細な質問にも真摯に答えてくれる。初めての予防接種の日、待合室で緊張していた私に、「飼い主さんが不安だと、犬も不安になりますよ」と優しく声をかけてくれた。その言葉以来、私は愛犬の前ではなるべく落ち着いた態度を心がけている。

柴犬を飼うということは、ただ可愛がるだけではない。毎日の散歩、適切な食事、清潔な環境の維持、そして何より、一つの命に対する責任を持ち続けること。時には夜中に体調を崩して慌てることもあるし、旅行の計画を変更しなければならないこともある。それでも、朝日が差し込むリビングで、気持ちよさそうに伸びをする姿を見ると、この選択は間違っていなかったと思える。

窓辺に置いたコーヒーカップから立ち上る湯気の向こうで、愛犬がうとうとと眠り始める。その寝顔を眺めながら、私はこれからも続く日々に思いを馳せる。柴犬との暮らしは、予想していたよりもずっと大変で、そしてずっと豊かなものだった。

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