
週末の朝、目が覚めると窓から差し込む陽光が部屋中を明るく照らしていた。カーテンの隙間から見える空は抜けるような青さで、今日は絶好の散歩日和だと直感した。リビングでは愛犬の柴犬、茶々丸がしっぽを振りながら私を待っていた。その期待に満ちた瞳を見ていると、じっとしていられなくなる。朝食もそこそこに、リードとお気に入りのボールを持って、近所の大きな公園へと向かった。
公園に到着すると、すでに多くの人々が思い思いに休日を楽しんでいた。ジョギングをする人、ベンチで読書をする人、子どもたちが歓声を上げて走り回る姿。その中でも、犬を連れた飼い主たちのエリアは特に賑やかだった。茶々丸はリードを引っ張りながら、早く遊びたいとアピールしている。広々とした芝生エリアに着くと、私はリードを外した。途端に茶々丸は喜びを全身で表現するように、芝生の上を駆け回り始めた。
柴犬という犬種は、日本古来の犬として知られ、その凛とした姿と忠実な性格で多くの人に愛されている。茶々丸もその例に漏れず、普段は落ち着いた態度を見せるが、野外で自由になると子犬のように無邪気な一面を見せる。くるくると回りながら走る姿は、まるでぬいぐるみが動いているようで、見ているだけで心が和む。柴犬特有のくるんと巻いた尻尾が、走るたびに左右に揺れる様子がたまらなく愛らしい。
私はポケットからボールを取り出し、茶々丸に見せた。すると彼は即座に反応し、私の前で伏せの姿勢をとった。これは「投げて」という合図だ。思い切りボールを投げると、茶々丸は矢のように駆け出し、見事にキャッチした。そして誇らしげに私のもとへ戻ってくる。この繰り返しが、私たちのお気に入りの遊びだ。何度投げても飽きることなく、茶々丸は全力で追いかける。その姿を見ていると、犬という生き物がいかに「今」を全力で生きているかを実感する。
公園の木々は新緑の季節を迎え、風が吹くたびに葉がさらさらと心地よい音を立てる。太陽の光が木漏れ日となって地面に模様を描き、その中を茶々丸が駆け抜けていく。野外で過ごす時間は、室内では決して得られない開放感と喜びに満ちている。特に柴犬のような活発な犬種にとって、広い空間で思い切り体を動かすことは、心身の健康に欠かせない要素だ。
しばらく遊んでいると、同じく柴犬を連れた飼い主さんが声をかけてきた。犬同士もすぐに意気投合し、追いかけっこを始めた。柴犬同士が遊ぶ姿は、まるで兄弟のようで微笑ましい。飼い主同士も犬の話題で盛り上がり、しつけの方法や健康管理について情報交換をした。こうした出会いも、公園での楽しみのひとつだ。
太陽が高く昇り、気温も上がってきた頃、茶々丸の舌が長く出始めた。水分補給の時間だ。持参した水筒から折りたたみの器に水を注ぐと、茶々丸は勢いよく水を飲んだ。その後、木陰のベンチで一緒に休憩をとった。私の足元で茶々丸はゴロンと横になり、満足そうに目を細めている。その穏やかな表情を見ていると、この時間を共有できることの幸せを深く感じる。
公園で過ごす時間は、日常の忙しさやストレスから解放される貴重な時間だ。スマートフォンの通知も気にせず、ただ愛犬と向き合い、自然の中で過ごす。柴犬の茶々丸は、私にとって最高のパートナーであり、癒しの存在だ。彼と一緒に野外で遊ぶことで、私自身も子どもの頃の純粋な喜びを思い出す。
休憩を終えると、茶々丸は再び遊びたそうに私を見上げた。まだまだ元気いっぱいのようだ。今度はフリスビーを使って遊ぶことにした。柴犬は身体能力が高く、ジャンプしてキャッチする姿は実にダイナミックだ。周囲の人たちも茶々丸の見事なジャンプに拍手を送ってくれた。
やがて午後になり、公園はさらに多くの人で賑わい始めた。茶々丸も十分に運動したようで、満足そうな表情を浮かべている。帰り道、茶々丸は私の横をゆっくりと歩いた。行きの元気いっぱいの様子とは対照的に、心地よい疲労感に包まれているようだ。
家に帰ると、茶々丸は自分のベッドに直行し、すぐに眠りについた。その寝顔を見ながら、今日一日の楽しかった思い出が頭の中を巡る。柴犬と過ごす野外での時間は、何物にも代えがたい宝物だ。いい天気の日には、また公園に行こう。そう心に決めて、私も茶々丸の隣で静かな午後のひとときを過ごした。


コメント