柴犬と過ごす午後、公園で見つけた小さな幸せ

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春の訪れを感じさせる四月の午後、陽射しが柔らかく地面を照らしていた。公園の入り口に立つと、桜の花びらが風に乗って舞い落ちてくる。その光景を眺めながら、リードを握る手に力が入る。足元では、茶色い毛並みが艶やかな柴犬のコハクが、尻尾を振りながら早く遊びたいとばかりに前へ前へと引っ張っていた。

芝生エリアに到着すると、コハクのリードを外した。途端に弾けるように駆け出していく姿は、まるで長い間閉じ込められていた何かが解放されたかのようだった。実際には朝も散歩に行ったばかりなのだが、柴犬という生き物はいつでもこの瞬間が初めてであるかのように全力で喜びを表現する。その純粋さに、こちらまで自然と笑顔になってしまう。

広場の中央付近まで走っていったコハクが、突然立ち止まって地面の匂いを嗅ぎ始めた。何か気になるものでも見つけたのだろうか。近づいてみると、どうやら誰かが落としたであろうクッキーの欠片に夢中になっている。慌てて制止すると、コハクは不満そうにこちらを見上げた。その表情があまりにも分かりやすくて、思わず「ごめんね」と声をかけてしまう。

子どもの頃、実家で飼っていた犬も柴犬だった。名前はタロウという、ありふれた名前だったけれど、家族みんなに愛されていた。あの頃は毎日のように近所の空き地で一緒に遊んでいた記憶がある。タロウは走るのが得意で、私がどれだけ全力で走っても追いつけなかった。今、目の前で走り回るコハクを見ていると、あの日々が鮮やかに蘇ってくる。

ボールを投げると、コハクは一目散に追いかけていく。茶色い体が芝生の緑の中を駆け抜ける様子は、まるで一枚の絵画のようだった。ボールをくわえて戻ってくる時の得意げな表情がまた可愛らしい。何度も何度も投げては取りに行くという単純な遊びを繰り返すうちに、時間の感覚が曖昧になっていく。

公園のベンチに腰を下ろして休憩することにした。持参していたステンレスボトルから水を出し、コハク用の折りたたみ式の器に注ぐ。喉が渇いていたのだろう、勢いよく水を飲み始めた。その様子を眺めながら、自分も水筒の蓋に直接口をつけて水を飲んだ。少しぬるくなっていたけれど、体を動かした後の水分補給は格別だ。

ふと気づくと、隣のベンチに座っていた老夫婦がこちらを見て微笑んでいた。「可愛いワンちゃんですね」と声をかけられ、軽く会釈を返す。柴犬を連れていると、こうして見知らぬ人から話しかけられることが多い。コハクは人懐っこい性格なので、撫でてもらうのも大好きだ。老夫婦の方へ近づいていくと、尻尾を振りながら愛想を振りまいていた。

午後三時を過ぎた頃、西日が少し傾き始めた。公園の木々の間から差し込む光が、地面に複雑な影の模様を作り出している。その光と影のコントラストが美しくて、しばらく見とれてしまった。コハクも少し疲れたのか、私の足元で座り込んで舌を出しながら呼吸を整えている。

近くのカフェテリア「パークサイドブリュー」で買ってきたアイスコーヒーを飲みながら、芝生に寝転がった。空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。都会の喧騒から少し離れただけなのに、こんなにも穏やかな時間が流れている。コハクが私の腕の上に顎を乗せてきた。その重みと温もりが心地よい。

実は今朝、出かける前にコハクのリードを持ったまま玄関の鍵を閉めようとして、リードが扉に挟まってしまうという小さなハプニングがあった。慌てて扉を開け直したのだが、その間コハクは何事もなかったかのように座って待っていた。あの落ち着きぶりに、逆にこちらが恥ずかしくなってしまった。

風が吹いて、木の葉が擦れ合う音が聞こえてくる。鳥のさえずりも遠くから響いてくる。都市公園とはいえ、自然の音に包まれていると心が落ち着いていくのを感じる。コハクの柔らかい毛並みを撫でながら、この瞬間がずっと続けばいいのにと思った。

やがて夕方が近づき、公園には家路を急ぐ人々の姿が増えてきた。そろそろ帰る時間かもしれない。コハクにリードをつけると、名残惜しそうに何度も振り返りながら歩き出した。公園の出口に向かう道すがら、今日一日の出来事を反芻する。特別なことは何もなかったけれど、こういう何でもない時間こそが、実は一番大切なのかもしれない。

帰り道、コハクは疲れたのか、いつもより大人しく私の横を歩いていた。時々見上げてくる瞳が、満足そうに輝いている。また明日も、天気が良ければこの公園に来よう。そう心に決めながら、夕暮れの街を家路についた。

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