
十二月の午後三時過ぎ、西日が斜めに差し込むリビングで、私は柴犬のハルと一緒にソファに座っていた。窓の外では風が冷たく吹いているらしく、庭の山茶花が小刻みに揺れている。でも部屋の中は暖房が効いていて、ちょうどいい温度だ。ハルは私の膝の上で丸くなり、時々ぴくりと耳を動かしながら眠っている。その柔らかな毛並みに触れていると、こちらまで眠くなってくる。
家族がそれぞれの場所で過ごしている気配がする。キッチンからは母が何かを煮込んでいる音が聞こえてくるし、二階からは弟がオンライン会議をしている声が微かに響いてくる。父はいつものように書斎にこもって本を読んでいるのだろう。誰も特別なことをしているわけではないのに、この空気感が妙に心地よかった。
ハルを飼い始めたのは三年前の春だった。ペットショップではなく、知人の紹介で譲り受けた子で、最初はまだ生後二ヶ月ほどの小さな存在だった。あの頃は家族全員が在宅勤務を始めたばかりで、それぞれが慣れない環境に戸惑っていた時期でもある。そんな中で、ハルという新しい家族が加わったことは、私たちにとって思いがけない救いになった。
犬を飼うというのは、正直なところ想像以上に大変だ。散歩は毎日欠かせないし、食事の管理も気を使う。それでもハルがいることで、家の中に自然なリズムが生まれた気がする。朝は決まった時間に起きるようになったし、夕方には必ず誰かが散歩に連れ出す。そのおかげで家族の会話も増えた。「今日のハル、散歩中にカラスを見て固まってたよ」とか、「また靴下くわえて走ってた」とか、そんな些細な報告が食卓を賑わせるようになった。
今日も昼過ぎに母と一緒に近所を散歩してきたばかりだ。公園の脇を通ったとき、ハルは例によって落ち葉の山に突っ込んでいった。カサカサという音が楽しいらしく、何度も何度も飛び込んでは鼻を鳴らしていた。母が「まるで子どもみたいね」と笑っていたのを思い出す。確かに、ハルの無邪気な様子を見ていると、こちらまで子どもの頃の感覚を思い出すことがある。
私が小学生だった頃、祖父の家には「タロー」という雑種犬がいた。夏休みになると必ず泊まりに行って、タローと一緒に庭を駆け回った記憶がある。あの犬も柴犬に似た茶色い毛並みをしていて、ハルを見るたびにタローのことを思い出す。あの頃は何も考えずに遊んでいたけれど、今思えばあれも家族との大切な時間だったのだろう。
ふと、ハルが目を覚ました。私の顔をじっと見つめてから、あくびをひとつ。そのあくびがあまりにも大きくて、顔がくしゃくしゃになっている。思わず笑ってしまうと、ハルは不思議そうに首を傾げた。その仕草がまた可愛くて、つい頭を撫でてしまう。すると満足したように再び目を閉じた。
キッチンから母が「お茶にしましょう」と声をかけてくる。立ち上がろうとすると、ハルが少し不満そうに鼻を鳴らした。ごめんね、とひと言かけてからリビングテーブルに移動する。母が淹れてくれたのは、ミントンの茶葉を使った紅茶だった。カップから立ち上る湯気と一緒に、ほのかに甘い香りが広がる。母はクッキーの缶も持ってきて、テーブルに置いた。
「ハル、ずっと寝てたの?」母が尋ねる。「うん、ずっと膝の上で」と答えると、母は「重かったでしょう」と笑った。確かに少し足が痺れていたけれど、それも悪くない時間だったと思う。紅茶を一口飲むと、温かさが喉を通って体の中に染み込んでいく。窓の外はもう少し暗くなり始めていて、冬の日の短さを実感する。
そういえば、と母が話し出した。「さっきハルの散歩から帰ってきたとき、玄関で靴を脱ごうとしたらハルがリードを引っ張って、私、片足立ちでバランス崩しそうになったのよ」。その光景を想像して、思わず吹き出してしまった。母も笑いながら「犬に振り回されてるわね、私たち」と言う。
家族と一緒に過ごす時間は、こんな風に何気ない瞬間の積み重ねでできている。特別なイベントがあるわけでもなく、劇的な出来事が起こるわけでもない。それでも、こうして同じ空間にいて、同じ空気を吸って、時々言葉を交わす。そんな日常が、実はとても貴重なものなのかもしれない。
ハルはまたソファに戻ってきて、今度は母の隣に座った。母が優しく背中を撫でると、ハルは気持ちよさそうに目を細める。私は紅茶を飲みながら、その様子をぼんやりと眺めていた。外はすっかり暗くなり、部屋の照明が温かく感じられる時間帯になった。もうすぐ父も書斎から出てくるだろうし、弟も会議を終えて降りてくるだろう。そうしたら夕食の準備を始める時間だ。
柴犬と家族と過ごす冬の午後は、こうして静かに過ぎていく。


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