柴犬と暮らす毎日——元気で活発ないたずら好きな相棒との、かけがえない日々

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# 柴犬・むぎとの四年間

朝、カーテンの隙間から差し込む光が畳の上に細長い帯を描く時間帯、うちの柴犬・むぎはすでに「待ち構えている」。目が合った瞬間に尻尾がぶんぶんと回転し、前足でトントンと床を叩く。そのリズミカルな音が、眠気の残る頭にじわじわと染み込んでくる。

柴犬との暮らしを始めて四年が経った。最初は「かわいい」「忠実」という漠然としたイメージしか持っていなかったが、むぎと暮らし始めてすぐに気づいた。柴犬は、そんなに簡単にまとめられる存在ではない。

## むぎが来た日

十月の終わり、空気が急に冷え込んだ週のことだった。地元の柴犬専門ブリーダーから迎えたむぎは、段ボール箱の中でまるくなっていた。ふわふわで、あたたかくて、少しだけ震えていた。あの手のひらの感触は、今でも忘れられない。

子犬の頃のむぎは、とにかく元気だった。ソファの脚をかじり、靴下を一枚だけ持ち去り、クッションの綿を引っ張り出して満足そうにしていた。怒ろうとするのだが、目が合うとしっぽを振って、口元がにやっとしているように見える。むぎは笑っていると思う。断言できる。

## いたずら好きで活発な柴犬

「柴犬は賢い」とよく言われるが、賢さとやんちゃさは共存する。むぎの場合、賢いからこそいたずらが洗練されている。散歩から帰って足を拭こうとすると、絶妙なタイミングでするっと逃げ、追いかけると走る。でも完全には逃げず、捕まる直前で止まってこちらを振り返る。そのくりかえし。これが遊びなのだということは、四年間でようやく理解した。

活発さについても書いておきたい。むぎは一日二回の散歩を欠かさず催促してくる。朝の散歩の時間が近づくと、玄関の前でじっと待ち始める。声は出さない。ただそこにいる。その存在感だけで「早くしろ」と語りかけてくる。あの往復の音が、朝の目覚まし代わりになっている。

## 散歩中に見せる横顔

散歩中のむぎは、また別の顔を見せる。近所の公園に続く坂道で、必ず一度立ち止まり、鼻をひくひくさせながら空気を読む。その集中した横顔はなかなか凛々しく、たまに奇跡的に静止している瞬間の写真は宝物だ。

秋の朝の散歩は特別だと感じている。むぎは落ち葉の上を意図的に歩き、カサカサという音を楽しんでいるように見える。一緒に落ち葉を踏みながら歩いていると、子どもの頃に通学路でランドセルを揺らしながら一人でカサカサやっていた記憶がふっと蘇ってくる。むぎと歩いていると、そういう記憶が戻ってくることがある。

## 忠実さとは何か

柴犬が飼い主に忠実であることは、一緒に暮らしてみると全身で感じることができる。熱を出して横になっていると、普段は自分の定位置で寝ているのに、その日だけは布団の端にぴったりくっついてくる。体温と重さが伝わってくる。何も言わないが、そこにいる。それだけで、なんとなく楽になる気がした。

忠実さというのは、服従とは違うと思っている。むぎは言うことを聞かない時も多い。それでも、何か大事な場面では必ずそばにいる。その選択が、忠実さなのだと感じている。

## 膝の上の重さと、静かな午後

ある日曜日の午後、リビングで本を読んでいたら、むぎが膝の上に顎を乗せてきた。重い。はっきり言って重い。むぎは今や十キロを超えている。でもそのまま動けなくなって、気づいたら一時間ほど経っていた。ページをめくることもできず、ただむぎの体温と呼吸を感じながら、窓から差し込む午後の光がゆっくり移動するのを眺めていた。最高の時間だったかもしれない。

## 柴犬を飼いたい人へ

柴犬を飼いたいと思っている人に、正直に伝えたいことがある。柴犬は手がかかる。散歩も必要だし、抜け毛も多いし、頑固な面もある。思い通りにならないことも多い。でも、それがいい。思い通りにならない存在が家にいるということは、生活に予測不能な要素が生まれるということで、それがどれだけ毎日を豊かにするか、暮らしてみないとわからない。

むぎが来てから、朝の時間が変わった。以前は起きてもぼんやりとコーヒーを淹れるだけだったが、今は自然と体が動く。外に出ると空気が違う。光が違う。季節の変わり目が肌でわかるようになった。それはむぎのおかげだと思っている。

## 静かな喜びの積み重ね

活発で元気で、いたずら好きで、でも必要な時にはそばにいてくれる。柴犬というのは、そういう存在だ。かわいいだけじゃない。頼もしいだけでもない。ちょっと困らせてくれて、でも最終的にはこちらの心をほぐしてくれる。

柴犬との暮らしは、静かな喜びの積み重ねだ。大きなドラマがあるわけじゃない。毎朝の散歩、帰ってきた時の出迎え、夜に隣で眠る温かさ、そういう小さなことが積み上がって、気づいたら生活の中心になっている。むぎがいなかった頃の朝を、もう思い出せない。それくらい、自然に、深く、日常に溶け込んでいる。柴犬と暮らすということは、そういうことなのだと思う。

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