我が家に柴犬のハナが来てから、毎日の生活が驚くほど豊かになった。玄関を開けると、いつも真っ先に駆け寄ってくる茶色い毛並みの愛らしい姿に、疲れも吹き飛んでしまう。
ハナを迎えることを決めたのは、3年前の冬のことだった。当時小学生だった娘が、どうしても犬を飼いたいと言い出したのがきっかけだ。妻と相談を重ね、家族の一員として迎えるなら、日本の犬である柴犬がいいのではないかという結論に至った。忠実で賢く、そして適度な大きさの柴犬は、私たちの暮らす集合住宅でも飼いやすいと考えたのだ。
ブリーダーさんのところで出会ったハナは、2ヶ月の小さな子犬だった。丸い目で私たちを見つめ、尻尾を振りながら寄ってきた姿は今でも鮮明に覚えている。家に連れて帰った日から、私たちの生活は大きく変わり始めた。
朝は必ずハナの散歩から始まる。以前は休日でも遅くまで寝ていた娘が、自ら早起きをするようになった。「ハナと一緒に朝日を見たい」と言って、休日の散歩は娘の担当になっている。妻も「朝のウォーキングが習慣になって健康的になった」と喜んでいる。
家の中での生活も、ハナを中心に回っているような気がする。リビングには専用のベッドを置き、おもちゃも所狭しと並んでいる。休日の午後、家族でソファに座ってテレビを見ているとき、ハナは必ず誰かの足元で丸くなって眠る。その温もりが、何とも言えない安らぎを与えてくれる。
柴犬特有の気質で、ハナは非常に警戒心が強い。見知らぬ人が来ると吠えることもあるが、家族に対しては無条件の愛情を示してくれる。特に娘のことは特別なようで、学校から帰ってくる時間になると、玄関の前で待っているほどだ。
夕食後のひとときは、家族みんなの大切な時間になった。ハナは私たちが団らんしているときは必ず近くにいて、時々膝の上に乗ってきたり、おもちゃを持ってきて遊びを求めたりする。以前はそれぞれが自分の部屋でスマートフォンを見ているような状況だったが、今では自然とリビングに集まって、その日あった出来事を話し合うようになった。
柴犬は四季の変化にも敏感だ。春には散歩中に桜の花びらを不思議そうに見つめ、夏には窓際で涼を取り、秋には落ち葉を追いかけ回し、冬には初めての雪に興奮する。そんなハナの姿を通じて、私たち家族も季節の移ろいをより深く感じられるようになった。
もちろん、飼育には責任も伴う。定期的な健康診断やワクチン接種、毎日の食事の管理、そして何より大切な家族としての愛情。でも、それらは決して負担には感じない。むしろ、家族で協力して一つの生き物の命を守り育てていく経験は、かけがえのない絆を育んでくれている。
娘は最近、将来は獣医師になりたいと言い出した。ハナの存在が、彼女の将来の夢にまで影響を与えているのだ。妻も動物のことをより深く知りたいと、休日には動物に関する本を読んでいる。私自身も、仕事で疲れて帰宅したときに、ハナが見せる無邪気な笑顔に何度も救われている。
柴犬との暮らしは、私たち家族に「一緒にいる幸せ」を教えてくれた。スマートフォンやテレビゲームといったデジタルな娯楽に囲まれた現代社会で、生き物との触れ合いがもたらす温かさは何物にも代えがたい。
最近では、近所の人々とのコミュニケーションも増えた。散歩中に出会う犬の飼い主さんとの会話は、地域とのつながりを深めてくれている。ハナは私たちの家族だけでなく、地域社会との架け橋にもなってくれているのだ。
夜、仕事から帰宅して玄関を開けると、いつものように真っ先に駆け寄ってくるハナ。その後ろには「お帰りなさい」と笑顔で迎えてくれる妻と娘がいる。この何気ない日常の幸せこそが、私たちの宝物なのだと思う。
柴犬のハナは、私たち家族に「共に生きる喜び」を教えてくれた。時には手がかかり、時には心配もかけるけれど、その分だけ私たちは強く結びつき、互いを思いやる心を育んでいる。これからも、このかけがえのない家族との時間を大切に過ごしていきたい。そう思わせてくれる存在が、我が家の愛犬ハナなのである。
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