
うちの柴犬は夕方になると必ずリビングの真ん中で寝転がる。
バタン、という音がする。人間みたいに豪快に倒れ込むから、最初は「え、大丈夫?」って心配したんだけど、どうやらこれが彼女の日課らしい。床暖房がついてなくても、夏でも冬でも、とにかくあの場所。家族がソファに座ってテレビを見ていようが、誰かが料理していようが、お構いなし。リビングの中心で仰向けになって、四肢を投げ出して、たまに寝言みたいなクーンって声を出してる。
その音が聞こえると、なぜか家族全員が少しだけ顔を上げる。「あ、また倒れた」みたいな空気が流れて、それで終わり。誰も何も言わない。でもなんとなく、その瞬間だけ時間が止まる感じがするんだよね。
家族と一緒に家の中で過ごすって、こういうことなのかもしれない。特別なイベントがあるわけでもなく、誰かが感動的なことを言うわけでもなく、ただ同じ空間にいて、同じ音を聞いて、同じ匂いを嗅いで、それで何となく安心してる。犬がいるとそれが顕著になる気がする。人間だけだと、どうしても会話とか目的とか、何かしらの「つながり」を意識しちゃうけど、犬がいると、ただ「いる」ってことが許される。
母親は夕飯の準備をしながら、たまに柴犬の方を見て「またそこで寝てるわ」って笑ってる。父親は新聞を読みながら、足元に来た犬の頭を無意識に撫でてる。弟はスマホをいじりながら、犬の写真を撮ってる。私はソファに寝転がって、天井を見上げながら、この時間がいつまで続くんだろうって考えてる。
そういえば、去年の夏に友達の家に遊びに行ったとき、そこの猫がずっと窓際で外を眺めてたんだよね。友達は「あいつ、毎日あそこにいるんだよ」って言ってて、私は「へえ」としか返せなかったんだけど、今ならわかる。動物って、家の中に「定位置」を作るんだよね。そしてその定位置が、いつの間にか家族の生活のリズムの一部になってる。
うちの柴犬の定位置はリビングの真ん中。最初は邪魔だった。掃除機かけるときも、洗濯物を運ぶときも、そこにいるから避けなきゃいけない。でも今は、そこに犬がいないと何だか落ち着かない。
夜の8時くらいになると、犬は自分からケージに入る。これも日課。誰も促さないのに、スタスタ歩いて行って、中でクルクル回って、寝る。その音も聞こえる。カサカサっていう毛布の音と、フーッていう鼻息。
家族はそれぞれ別のことをしてる。テレビを見てる人もいれば、本を読んでる人もいる。でも犬がケージに入る音は、みんな聞いてる。そして誰かが「もうそんな時間か」って呟く。
家の中で家族と一緒に過ごすって、結局こういう小さな音の積み重ねなのかもしれない。会話がなくても、目が合わなくても、同じ空間で同じ音を共有してる。それが家族ってやつの正体なんじゃないかって、最近思うようになった。
冬の朝は特に犬の存在が大きい。暖房をつける前の冷たい空気の中で、犬だけが暖かい。リビングに降りていくと、犬がケージから出てきて、尻尾を振りながら近づいてくる。その体温が、朝のひんやりした空気の中で妙に際立つ。家族の誰かが「おはよう」って犬に言って、犬は返事代わりに鼻を鳴らす。
ブランド名とか店名とかはどうでもいいんだけど、うちの犬が使ってる毛布は「ドッグスリープ」っていうやつで、母親が通販で買ったらしい。最初は「なんでこんな高いの買うの」って父親が文句言ってたけど、今では父親が一番その毛布を気に入ってる。犬が使ってないとき、たまに父親が膝掛けにしてるのを見たことがある。
家族って、多分、こうやって少しずつ混ざり合っていくんだと思う。犬の毛布を人間が使ったり、人間の食事の匂いを犬が嗅いだり、誰かの足音を全員が聞き分けられるようになったり。境界線が曖昧になって、それでも誰も困らない。
最近、犬が少し歳をとってきたなって感じる。動きが前よりゆっくりになったし、階段を上るのを躊躇するようになった。家族は誰もそのことを口に出さないけど、みんな気づいてる。だから前より優しく接するようになった気がする。
でもまだ、夕方になるとリビングの真ん中でバタンって倒れる。その音が聞こえる限り、多分、うちは大丈夫なんだろうなって…そう思ってる。


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