柴犬が公園で見せる「元気」の正体は、たぶん僕らが忘れたあれだと思う

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近所の公園に柴犬がいる。

毎朝七時半くらいになると、あの茶色いやつが全力で走り回ってる。飼い主のおじさんは木陰のベンチに座ってスマホいじってるだけなんだけど、柴犬のほうは一人で勝手にテンション上がってる。ボールを投げてもらってるわけでもない。ただ走って、急に止まって、また走る。何が楽しいのかよくわからないけど、見てるとこっちまで変な気分になってくる。

僕が最初にあの柴犬を見たのは去年の秋だった気がする。朝のジョギングをサボりがちだった時期で、たまたま早起きできた日に公園を通りかかったら、あいつが砂利道を爆走してた。耳がぴょこぴょこ揺れてて、舌を出して、目がキラキラしてる。で、急ブレーキかけて匂い嗅いで、また走る。あの動きを見てると「元気」っていう言葉の意味を辞書で引き直したくなる。人間の「元気」とは明らかに違う何かがあそこにはある。

犬の「元気」って、たぶん目的がないんだよね。

僕らが「元気出そう」とか「元気もらった」とか言うとき、そこには必ず何かしらの目標とか、回復すべき状態みたいなものが前提にある。疲れてたから元気になった、落ち込んでたから元気が出た、みたいな。つまり僕らの「元気」には基準値があって、そこに戻るための行為として捉えられてる。でも柴犬の元気には基準がない。あいつらはただ、今この瞬間に体が動くから動いてるだけ。走りたいから走る。止まりたいから止まる。そこに理由なんてない。

公園の芝生エリアには、いつも同じ場所に小さな水たまりができる。雨が降った翌日とか、朝露が多い日とか。で、あの柴犬は必ずそこを通る。わざわざ。普通に避けられる位置なのに、なぜか突っ込んでいく。足がびしゃびしゃになって、飼い主のおじさんが「あーあ」って顔してるのに、本犬は全然気にしてない。むしろ水しぶきが上がる感触を楽しんでるように見える。あの瞬間の柴犬の顔ったらない。「最高じゃん?」って言ってる。

そういえば、僕も小学生のとき似たようなことしてた。

学校の帰り道に小さな用水路があって、そこに飛び石が並んでたんだけど、雨の日はわざと水の中を歩いてた。長靴履いてるから平気だし、水がばしゃばしゃ音を立てるのが楽しかった。母親には「靴下まで濡らして」ってめちゃくちゃ怒られたけど、あの感覚は今でも覚えてる。別に意味なんてなかった。ただ楽しかったから、やってた。

人間は成長するにつれて、その「ただ楽しい」を失っていく。いつの間にか「これをやる意味は?」とか「これで何が得られる?」とか考えるようになる。効率とか生産性とか、そういう言葉に囲まれて生きてるうちに、目的のない行動ができなくなる。公園で全力疾走するなんて、もう何年もしてない。走るならジョギングアプリで距離を測って、消費カロリーを記録して、SNSにアップする。それが「意味のある走り」になってる。

でも柴犬は違う。あいつは今日も公園で無意味に走ってる。

飼い主のおじさんが「もう帰るぞ」ってリードを引っ張っても、まだ走り足りない顔をしてる。尻尾は全力で振られてて、「もう一周!もう一周だけ!」って言ってる気がする。で、おじさんが根負けして、もう一周だけ自由にさせる。その瞬間の柴犬の加速がすごい。まるで人生で最後の全力疾走みたいなスピードで駆け抜けていく。朝日を背中に浴びて、砂利を蹴って、風を切って。

あの姿を見てると、「元気」って状態じゃなくて動詞なんじゃないかと思う。「元気である」じゃなくて「元気する」。エネルギーを持ってるんじゃなくて、エネルギーを使うこと自体が元気なんじゃないか。柴犬は走ることで元気になってるんじゃなくて、走ること自体が元気そのもの。結果じゃなくて、プロセス。

最近、仕事帰りにたまにあの公園を通るようになった。夕方だから朝の柴犬はいないんだけど、別の犬たちが遊んでる。ゴールデンレトリバーとか、トイプードルとか、雑種っぽいやつとか。みんな全力で遊んでる。ボールを追いかけて、飼い主の周りをぐるぐる回って、他の犬と挨拶して。誰も「今日のノルマ」とか「明日の予定」とか考えてない。

人間も、たまにはそういう時間が必要なのかもしれない。目的のない全力疾走。意味のない水たまり突撃。理由のない尻尾フリフリ…って、人間には尻尾ないけど。

朝の公園の柴犬は、今日もたぶん走ってる。僕はまだ布団の中だけど。

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