柴犬がいる家の、なんでもない一日

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うちの柴犬は、家族が集まるとなぜか必ず真ん中に座る。

リビングのソファに父が座り、母がキッチンから顔を出し、私が床にあぐらをかいていると、茶色い塊がすっと入り込んでくる。誰かの膝に乗るわけでもなく、ただ中心にいたいらしい。尻尾は床にぺたんと下ろして、耳だけぴくぴく動かしながら、家族の会話を聞いている。本当に聞いてるのかは知らないけど、たまに目だけこっちに向けてくるから、少なくとも気配は感じてるんだと思う。

週末の午後、特に予定もない日は大抵こんな感じだ。テレビがついていることもあるし、誰かがスマホをいじっていることもある。でも柴犬の存在が、なんとなく家族を同じ空間に引き寄せてる気がする。犬を飼う前は、私は自分の部屋にこもってることが多かったし、父も書斎から出てこなかった。

この犬が来たのは三年前の春で、ペットショップじゃなくてブリーダーから直接譲ってもらった。母がどこかで見つけてきた「柴一郎ブリーダーズ」って名前のところ。名前が昭和すぎて最初は怪しんだけど、行ってみたら普通の一軒家で、おばあちゃんが一人で数匹の柴犬を育てていた。そこで母犬に囲まれながらちょこんと座ってた子犬を見た瞬間、家族全員が「この子だ」って思った。珍しく意見が一致した。

犬がいると、会話の入り口が増える。「今日散歩行った?」「ご飯もう食べた?」「なんか毛が抜けすぎじゃない?」そういう些細なやり取りが、いつの間にか別の話題に繋がっていく。父の仕事の愚痴とか、母の友達の話とか、私の大学のどうでもいいエピソードとか。犬は相槌も打たないし反論もしないから、ちょうどいい聞き役になってる。

そういえば去年の夏、私が夜中にアイスを食べてたら柴犬が起きてきて、じっと見つめられたことがある。あの目つき、完全に「分け前くれ」って言ってた。犬にアイスはダメだって知ってるから無視したんだけど、翌朝母に「昨日アイス食べたでしょ」ってバレてた。犬が証人になってたらしい。裏切り者…だけど。

家の中での犬の動きには、なんとなくパターンがある。朝は母の後をついて回り、昼間は日の当たる窓際で寝て、夕方になると玄関の近くで父の帰りを待つ。夜は私の部屋の前でうろうろして、ドアを開けると入ってきて足元で丸くなる。誰にでも平等に時間を配分してる感じが、妙に律儀で笑える。

冬の夜、暖房の効いたリビングで家族が集まってると、犬の体温がじんわり伝わってくる。毛布に包まった柴犬を誰かが膝に乗せて、テレビを見たり本を読んだりしてる。特別な会話がなくても、その空間が妙に落ち着く。犬の寝息が聞こえて、時計の秒針が時を刻んで、外から車の音がたまに聞こえる。

正直言うと、犬を飼う前は「世話が面倒くさそう」って思ってた。散歩も毎日行かなきゃいけないし、病院代もかかるし、旅行にも行きづらくなる。実際その通りで、面倒なことは確かに増えた。でも家に帰ったとき、玄関で尻尾を振って待ってる姿を見ると、そういう計算が全部どうでもよくなる。

犬は言葉を話さないから、こっちが勝手に気持ちを想像するしかない。嬉しそうに見えるとか、退屈そうだとか、そういうのは全部人間側の解釈でしかない。でもその曖昧さが、かえって家族の会話を生んでる気がする。「今のって怒ってたのかな」「いや、あれは遊んでほしいんだよ」みたいな、答えのない議論を延々とやってる。

家族って、一緒にいるのが当たり前すぎて、いつの間にか会話が減っていくものなのかもしれない。でもうちの場合、柴犬が真ん中にいることで、なんとなく繋がってる感じがする。犬が接着剤になってるというか、共通の話題というか。

今日も犬はリビングの真ん中にいて、誰に呼ばれるでもなく、ただそこにいる。それだけで、この家はちゃんと回ってる気がする。別にそれ以上の意味なんて、特にないんだけど。

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